コラム

東京タワーを塗ったのは蒲原の職人?|「鋼橋塗装発祥の地」蒲原と塗装の歴史

小林塗装工業がある静岡市清水区蒲原(旧蒲原町)は、「鋼橋塗装発祥の地」と呼ばれてきた町です。多くの塗装職人や現場監督がこの町から全国へ出て、鉄の橋を錆から守る技術を広めました。地元では「東京タワーを塗ったのは蒲原の職人だ」という話もよく知られています。

しかし、当時を知る人は年々少なくなり、記録もほとんど残っていません。この記事では、当社が2017年に始めた聞き取りと調べものをもとに、蒲原と塗装の歴史をご紹介します。

蒲原が「鋼橋塗装発祥の地」と呼ばれる理由

始まりは船底の貝落とし|「ケレン屋」と呼ばれた職人たち

かつての蒲原は、農業と漁業を半分ずつ営む家が多い地域で、農閑期や漁閑期のほかには仕事が多くありませんでした。そこで請け負うようになったのが、清水港に半年に一度戻ってくる遠洋漁業の船の、船底についた貝などを剥がす作業です。

この剥がす作業は、いまでいうケレンにあたります。剥がしたあとに錆止めを塗るようになったことが、蒲原の塗装の始まりだといわれています。当初は剥がす作業が主な仕事で、塗装はそれに付いてくる仕事でした。職人たちは「ケレン屋」、通称「カンカン」とも呼ばれていたそうです。

ケレンの技術が鉄の橋の塗装へ

錆を落とす技術は、やがて旧国鉄の橋の改修塗装など、鉄でできた橋(鋼橋)の仕事につながっていきました。蒲原の職人は全国各地で鋼橋の塗装を請け負うようになり、その知名度から「鋼橋塗装発祥の地」と呼ばれるようになりました。

蒲原の職人の強みは、錆落としの腕と、飾るための塗装ではなく鉄を錆から守るための塗装についての知識と経験でした。

東京タワーの塗装と蒲原の職人

東京タワーは1957年に着工し、1958年に完成しました。その塗装は磯部塗装が請け負い、植松様の先輩にあたる世代の職人たちが手がけたと伝えられています。ほかの職人が断るような高所作業も引き受ける気質が、仕事を任されることにつながったと考えられています。

当時は現在のような安全対策や塗料の飛散防止対策が十分ではなかった可能性がある、と植松様は話しています。

鉛中毒の教訓|塗料の安全性を変えた蒲原

当時の鉄の塗装では、防錆力の高い鉛を含む塗料が使われていました。現場では、塗料と鉛の粉末を棒で混ぜて使うこともあったそうです。使われていた材料には、鉛丹やズボイドのほか、特に毒性の強いクロム系の材料もありました。

こうした塗料を扱ううちに、蒲原の職人から鉛中毒を発症する人が出て、大きな問題になりました。その後、鉛を使った塗料は使われなくなっていきます。植松様は、蒲原は塗料に含まれる鉛の危険性を全国に先駆けて示した地域だと話しています。

鉛を含む塗料で塗られた橋は今も残っており、塗り替えの際には鉛への対策と、剥がした塗膜の産業廃棄物としての処理が欠かせません。

職人インタビュー|植松様が語る「考えて塗る」ということ

2017年10月、蒲原の塗装業界に50年以上携わってきた植松様にお話をうかがいました。植松様は20歳で塗装会社に入社し、現場の職人から始めて、のちに営業や現場責任者として全国各地で塗装の技術と知識を広めてこられた方です。

塩害の沖縄で、乾きの早い塗料への変更を提案

沖縄の本土復帰後、高速道路の工事に携わったときのことです。当時主流だった鉛の塗料は乾きが遅く、塩害の強い沖縄では、乾くのを待つ間に塩が付着してしまう問題がありました。植松様は乾きの早い塩化ゴム系の塗料への変更を求め、許可を得て施工しました。鉛の塗料を使ったほかの現場では、完成前に錆が出て塗り直しになった例もあったそうです。

富士川の橋で、日本初のブラスト仕様の塗り替え

富士川に架かる橋の塗り替えでは、古い塗膜が厚く付いており、上から塗り重ねると根元から剥がれて鉄がむき出しになってしまいました。そこで、古い塗膜をすべて剥がすブラスト仕様への変更を提案し、許可を得て施工しました。日本で初めてのブラスト仕様の塗装工事とされ、いまでは一般的な工法になっています。

「塗らないほうがいい」と言えるのが専門家

植松様が強調していたのが、「技術とは塗装をすることではなく、自分で考えて塗装することだ」ということです。同じ塗料でも、地域や素地、相性によって持ちも必要な処置も変わります。だからこそ現場を見て、問題点を想定し、手間を見積もることが大切だといいます。

ときには「塗らないほうがいい」と提案することも専門家の役割です。設計事務所から戸建て住宅のヒノキのドアにペンキを塗ってほしいと頼まれたときは、ヒノキの特性上、塗るとかえって耐久性が落ちることを説明し、塗らないようお願いして施主に感謝されたそうです。

「一般の方よりうまく塗れるということだけでは、ただの塗るのが上手い人。」植松様のこの言葉は、私たち小林塗装工業がお客様と向き合うときの指針にもなっています。

小林塗装工業と蒲原

小林塗装工業は、1955年(昭和30年)に小林利行が蒲原で創業しました。当時の蒲原は橋梁塗装の職人が有名な町で、当社は自動車の板金塗装や看板の塗装から仕事を始め、その後、建築塗装や工業塗装へと仕事を広げてきました。現在は住宅の外壁・屋根の塗り替えを中心に、創業から70年、静岡市・富士市・富士宮市・沼津市など静岡県中部・東部で地域の住まいを守っています。

当社の代表も、幼いころに「東京タワーは蒲原の人が塗ったんだよ」と聞いて育ち、誇らしく感じていた一人です。地元の先輩たちが築いてきた技術と姿勢を受け継ぎ、一軒一軒の家に合った塗装を考えることを大切にしています。

蒲原の塗装の歴史を残すために|情報をお寄せください

当社が蒲原の塗装の歴史を調べ始めたのは2017年の夏です。蒲原図書館で「静岡県史」や「蒲原史」も調べましたが、1,000ページを超える本の中に1ページほどの記述しかありませんでした。このままでは先輩方の築いてきたものが消えてしまう、という危機感から、「話を聞いてまとめる」「書き残す」「発信する」の3つに取り組んでいます。

東京タワーの塗装や、全国の鋼橋塗装に携わった方、当時のことをご存じの方がいらっしゃいましたら、どんな小さなことでもお聞かせください。

まとめ

  • 蒲原は、船底の貝落とし(ケレン)から始まり、全国に鋼橋塗装を広めた「鋼橋塗装発祥の地」
  • 東京タワー(1957年着工・1958年完成)の塗装にも、蒲原の職人が関わったと伝えられている
  • 鉛中毒の問題を通じて、塗料に含まれる鉛の危険性が知られるきっかけになったと語られている
  • 小林塗装工業は1955年に蒲原で創業し、「考えて塗る」姿勢を受け継いでいる

蒲原の職人たちが大切にしてきたのは、ただ塗ることではなく、建物を守るために何が必要かを考えることでした。外壁や屋根の塗り替えをお考えの方は、お気軽にご相談ください。

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